私達が毎日暮らしている日常で、「食べる」「笑う」「話す」というあたり前の様にしている事の中でトラブルやさまたげとなっている原因を除去し、解決するお手伝いをさせて頂きたいと考えております。当クリニックでは患者様とのコミュニケーションを重視し気軽にご相談できる環境を提供できる様、日々努めております。歯に痛みがあったり、お口の中でトラブルがあり「食べる」「笑う」「話す」事のさまたげになっている事を私達はしっかりと説明させて頂き、丁寧に診療させて頂きます。まずはお気軽にご相談下さい。
歯科医師って、ちょっと怖いイメージがありますよね。さらに、私は顔のイメージから怖いと思われがちなようです(笑)
少しでも私のことを知っていただき、皆様に親しみを持っていただきたいと思い、簡単に私の半生をまとめてみました。ちょっと恥ずかしいですが、ぜひお時間のある時にでも読んでいただけると嬉しいです。ちょっとだけ歯医者に行くのが怖くなくなるかもしれません
私は東京都に長男(姉2人)として生まれました。
父は歯科医師です。そして、母方の祖母も歯科医師という、歯医者さんに縁が深い家庭に生まれました。
私が小さい頃から父は歯科医師として非常に忙しくしていましたが、歯科医師として仕事をしている父を見るといつも「カッコイイな~」と思っていたことを覚えています。
また、幼少期の私の趣味は、昆虫採集や標本にすることでした。当時から手先が器用だったようで、細かい作業が大好きだったのです。今思うと、歯医者の家に、しかも手先が器用という資質までもらっているということは、本当に歯科医師が天職だったのかなと思います。
しかし、その天職に辿り着くまでには、人よりも遠回りをするのですが・・・
勉学の方は、姉2人が優秀だったので負けず嫌いな私も小学校の頃はかなり頑張っていました。
しかし、元々音楽が大好きだったことから中学生になってからはバンド活動を開始。そちらの活動にめり込んでいくことになりました。
今振り返るとバンド活動は、もちろん勉強には役立ちませんでしたが、チームワークを学ぶ上で非常に役に立ちました。
バンドの演奏は、練習段階からチームで協力し合い、本番でのベストなパフォーマンスを目指していく作業です。チームワークが悪くては、良い演奏はできません。
同じように、良い歯科治療をするためには、チームワークに基づいたチーム医療が求められます。当院のチームワークは、このバンド活動から学んだチーム作りが生み出していると言っても過言ではないほど、私にとっては大きな経験でした。
バンド活動に明け暮れた中学時代が終わり、高校からはサーフィンにハマることとなります。始めたきっかけは友人の誘いでなんとなく始めたのですが、すぐにその魅力に虜になってしまいました。
季節を問わず、休みの度に様々な海へと出かけていました。サーフィンというとチャラチャラしてイメージがあるかもしれませんが、自分では相当ストイックに打ち込んでいました。
そして、高校3年生になりました。多くの友人が進学を目指し受験勉強に打ち込む中、私は決断しました。
「アメリカに行って、プロサーファーになろう!」
周囲は驚きましたし、少なからず反対はありましたが、私自身は迷うことなく決断しました。親は本当に心配だったと思いますが、夢を応援してくれたことを心から感謝しています。
高校を卒業後、プロサーファーを目指してアメリカサンディエゴに単身留学しました。期待と夢を胸に、心底ワクワクしていました。そしてアメリカでアルバイトをしながら、アメリカでできたサーファー仲間と切磋琢磨し、プロになるべく腕を磨いて行ったのです。
しかし、世界のレベルは決して甘いものではありませんでした。自分では相当努力をしました。歯科医師になる前の人生で、あそこまで努力をしたことがありません。しかし、上には上がいることを思い知るのです。
「サーフィンの世界では、自分はトップにはなれない・・・」
最初は認めたくありませんでした。しかし、心底悟ってしまった時、帰国を決断しました。アメリカへ渡って1年半が経っていました。
もしかしたら、高校からスムーズに大学へ入り、歯科医師になった周りの人から見ると遠回りをしたように見えるかもしれません。
しかし、このチャレンジと挫折は私にとって大きな財産になりました。どの世界にも一流がいて、自分の想像しているものと目で見るものが違うということを実感しました。
そして、常識を踏み外しても、誰も頼れない状態の海外に行っても、自分の信念を強く持っていれば、道は開けることも体感できましたし、人間として視野も広がったと思います。
歯科医師として現状に甘んじてしまったり、歯科の常識に囚われてしまったりすることなく、常に最善を模索し続けるマインドは、このサーフィンの体験から身につきました(副産物ですが、英語を修得することができたので、海外の最新の論文を読んで勉強をしたり、外国人の患者さまの対応も可能となりました!)
帰国後、次は何にチャレンジしようかと考えた時、真っ先に思いついたこと。それは、
「次は歯医者で日本一になろう!」
ということでした。意識はしていませんでしたが、父や祖母の姿を見て憧れていた私の脳裏には、常に歯医者という選択肢があったのだと思います。
思い立ったら行動が信条です。しかし、歯科大学への入学は高校3年間サーフィンに明け暮れて全くといっていいほど勉強をしてこなかった私には、簡単なものではありません。それから、1日18時間の猛勉強の日々が始まりました。
そして1年間の勉強の末、なんとか日本大学歯学部へと入学することができたのです。
日本一の歯科医師になると決断しているので、高校時代とはうって変わって歯学部では一生懸命勉強しました。結果、無事に卒業して歯科医師の国家試験にも合格することが出来ました。
卒業後には、医科歯科大学口腔外科に入局しました。ここで立てた目標は、「親知らずを1000本抜く辞めない」というものでした(目標がないと、動けない性格なのです・・・笑)。そして、1300本を抜いたところで退局。
この時の経験から、外科手術は誰にも負けない自信が身につきましたが、実はそれ以上に歯科医師としての転機となったことがあります。それは、歯への考え方です。
日々、歯を抜く中で気がついたのです。大学病院に歯を抜くために沢山の患者さまが来院されるのですが、そのほとんどが過去に歯科治療で削ってしまったり、神経を抜いてしまったりした結果、抜歯に至っていることに。そして、決意したのです。
「自分は、歯科医師として削らない・抜かない治療を突き詰めよう!そして、歯を守って患者さまの笑顔を日本一生み出せるような歯科医師になろう!」
歯は削ったり抜いてしまうと、元には戻りません。そして、抜いてしまったあとにはインプラントなどの治療で高額な治療費を払っていらっしゃる方もいます。
もちろん、インプラントは素晴らしい治療だと思います。しかし、患者さまにとっては、そもそも抜かないで健康な歯を保つことが最も幸せなはずです。身体的にも経済的にも負担が一番少ないはずです。
その考えから、私は今でも「削らない、抜かない」治療に力を入れているのです(その後、患者さまの負担をより考えて、「削らない・抜かない・痛くない治療」へと進化しました)。
私も、今や小学生2年生、幼稚園年長の2児の父親となりました。子供ができて、より強く思ったことがあります。それは、歯科治療をするときには、全ての人に自分の子供を診るように寄り添って治療をしようということです。
今まで、歯医者が苦手だった方も多いことと思います。怖いイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。私達は、皆様の笑顔を実現することに本気です。ぜひ、諦めずにまずは相談して下さい。きっと、解決策が見いだせるはずです。
まだまだ、日本一笑顔を生み出す歯医者という夢の道半ばではありますが、今後も皆様の笑顔を生み出し続けるよう勤めてまいります。どうぞ、よろしくお願い致します。
ここまでお読みになっている方は、きっと歯のことで悩まれていることと思います。当院では、画一的な治療ではなく、あなたの口の状態、お悩み、要望に合わせた治療を行います。
初診時にはしっかりとお話も聞かせていただきますので、まずは気軽にご来院下さい。